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中村勘三郎さんは松本くんを3人目の息子と言ってくれてました。なので松本くんは歌舞伎界の方々と仲がいいんですよね。そんな親友と出会えた堀越学園ですが、高校進学を進めたのは櫻井くんで、彼は入学式に付き添ってます。松本くんがこれまでの出会いを大切にしてきたからこそ今回のキャスティングに繋がったと思うと、感慨深いです。
大谷吉継がハンセン病を患った後でも他の者が忌み嫌うのに三成だけは変わらずに接したというエピソードが好きです。
お茶を回されても飲むエピソードですね、へうげものでは同席した前田利家が吉継から回された茶を平気で飲んで困った三成がふんどし一丁になって全身で飲んだ姿には笑いました😆
十八代勘三郎さんは30年ぐらい前にテレ東の年末12時間ドラマで秀吉やってましたね!御本人のキャラクターもあってか昔ながらの明るい秀吉をやってはりました!もっともっと長生きして息子さんたちとの共演も見てみたかったです😢
大河ドラマでは同じ人を色んな俳優さんが演じるから、ああこの信長は好みじゃ無いなあとか、この家康は俳優さんとぴったりだなとか好き嫌いしてしまうんですが、石田三成はどの俳優さんが演じていても割と好きになれるのが不思議です。
七之助さんがテレビに登場した時、私も、亡くなったお父さんの顔に見えて、本当にドキッ❤としました。女方の顔をされているので、お母さん似だとばかり思っていました。
同じく「勘九郎さん」というと亡くなったお父さんを思い出します。誰が見ても歌舞伎だけでなく日本の文化を率いていく方でした。本当に惜しい方を亡くしました。実は三成も好きですが、お兄さんの石田正継にも惹かれています。関ケ原のときだけでも出てきてほしいですね
家康さんと三成さんの中の人たちの仲よしエピソードを知って関ケ原を観るのが辛くなりそうです😂
戦国武将の中で一番好きな武将が石田三成です❤️好きになったきっかけは、大河ドラマ「黄金の日々」で近藤正臣さんが石田三成 役で、小学生の私がハマってしまいました。大河ドラマでもいろんな方が三成役を演じていますが、小栗旬君の時も好きでした✨今回もどんな三成になるか?楽しみにしています📺️
そうですね。七之助さんとは仲良しですから。今回、とっても楽しかったですよね😆
三成は物事に対して最善策、次善策、…と様々なケースを想定して手を打てる人だったと思います。きっと自分でもトップに立つより参謀の方が向いてるって思ってたのに、周りから頼られて自分がやるしかない状況に追い込まれちゃったんだろうなぁ…。そんな三成さんが大好きです!
先週の三成と家康の空を見上げて星を愛でるシーンは本当に良かったですねー。でもラットさんが「サンコン。。」とおっしゃった時。。「イッコンニコンサンコーン‼️」って言うかと思ったけどいわなかった😂言って欲しかった。。と思ったのは私だけではないはず😂 中村勘九郎さんの平成中村座ニューヨークのリンカーンセンターで見たのですが、その時、七之助さんも出演なさっていたと思いますが、線が細かった記憶があります。素敵な役者さんになられましたね。七之助さんのこれからの三成楽しみです❤
石田三成は大好きです。NHKの大河ドラマでは、石田三成を主人公にした大河ドラマを作ってほしいです。『黄金の日々』の近藤正臣さんが演じた石田三成はとてもとてもとてもよかった。かっこよかった。実際人物に一番近い気がします。三成らしかった。特に『今生の別れぞ!!』と入って小舟で、別れるシーンは感動しました。他に、山本耕史さん、は、『真田丸』で、石田三成はすばらしかった。この二人は最高でした。その他、江守徹さん、映画での岡田さん、橋之助さん、真田広之さん、もとてもよかった。その他、『天地人』のしゅんさんもよかった。とても素敵でした。今年の七之助さんも良いです。ぜひ、NHK大河ドラマは、石田三成を主人公にしたドラマを作ってほしいです。切なる願いです。実現しますように!!この番組では、さらに、石田三成と関ヶ原、なぜ西軍は敗れてしまったのか!!をとりあげてほしいです。橘宗茂が関ヶ原に間に合っていたら西軍は大勝していたと思います。あるいは、伊達政宗を西軍に、味方に、していたら、上杉景勝が、関ヶ原にくることになり、西軍は大勝していました。しかしながら、西軍、石田三成、宇喜多秀家は本当によく戦った。あっぱれ!!🎉
三成って本当にカリスマ性のある主人の元でこそ輝く人物だと思う。島左近なり、渡辺勘兵衛なり、彼に心底惚れてた人もいると思うけれど。MBTI的には、ISTJタイプなのかなと。
三成の話から、堀越の話になって、中村家まで、「どこまでいくねん!」的な流れが、姦しな感じでよかったです😆
Xの三成さんは大河の時は毎回盛り上がってます。真田丸の三成さんはお気に入りだったみたいです❤
動画の作り方が上手ですよね。わかりやすいし、邪魔とか違和感とか全然無いです。ありがたいです。そこで思ったのですが、トークで未公開部分ありますよね。未公開特集の予定はありますか?
三成の不幸は秀吉の暗部を一身に背負ってしまったこと。無理な出兵の後方支援を担ったことで前線の武将に恨まれてしまった。官僚としては優秀だったので、同じ立場の吉継や兼続には頼りにされ、家康からは警戒された。
武将の中で三成を尊敬してます。佐和山城跡に行ったり定期的に関ヶ原の笹尾山の頂上に登ってどんな心境だったのか考えます。大谷吉継も好きです。首塚に行って手を合わせに行きました。直江兼続の直江状に凄く興味があります。楽しく拝見させて頂きました。有難う御座います。
今日もお疲れ様です!治部様は推しなので解説してくださって嬉しいです!治部様は柿に関するエピソードだったりピュアで可愛い逸話があるのでとても魅力的で大好きです❤️
松潤と仲の良い話は聞いていましたが…ホントに良いキャスティングですよねぇ🤔その2人が戦いあうのかぁ😢きりゅうさんは岡田准一さんが三成をやった関ヶ原って映画は見ました!?好きな監督の作品だったので良かったです🥹👌✨
石田三成は、気になる方でしたから、動画にして下さりありがとうございます~今の時代には必要とされそうな方の様な気が、しました。
今日も楽しい解説ありがとうございます😁松潤さんと七之助さんが私生活でも仲良しだったとは、今後の二人の掛け合いが面白くなりそうです😀
「どうする家康」での中村兄弟は茶屋四郎次郎と石田三成ですね。今後の展開のどこかでニアミスするのでしょうか。気になります(*'ω'*)
松潤と七之助さんが仲良しの情報迄ご存知のきりゅうさん❤すごい😂今回も楽しい解説ありがとうございます❤
中村兄弟さんを奈良の東大寺でお見かけしました狛犬に登ろうとしてお母様に怒られていたのを覚えてます
きりゅうさん、時々お猿さんに変身するのが可愛い左耳の白いピアスも素敵
イヤホンよね、しろいの
七之助さんが、肖像画に似てる感じがしました(笑)雰囲気が良いですよね
のりちゃん、5代目勘九郎、大好きでした。❀がありましたよね。
松潤と七之助エピソードは存じ上げませんでしたが、先代の勘九郎さんが幼い兄弟の兄(現在の勘九郎)をビンタしたスパルタ映像は今でも脳裏に焼きついて離れません。悪い意味ではなく芸能とは厳しい世界だなぁと感じいったシーンでした
治部さま大好きなので解説嬉しいです〜〜!まだたった41歳だったんですよね…もしも秀吉ではなく家康に仕えていたら、とか、歴史にもしもはないけれど、きっとあれだけ事務のできる人だから江戸幕府でも活躍できただろう(むしろ戦国より向いていたのでは)とか考えてしまいます。そして、通説や最近の説まで知れるきりゅうさんの解説の上手さに毎度のことながら感激です。
干し柿の話は、「葵・徳川三代」でやってましたね。名優ぞろいですごく印象的でした。ま、俳優さんの実年齢との差はめっちゃあったんですけどね
戦国って本当に研究すすむから関ヶ原も近年の説は本当にビックリ関ヶ原って実は毛利輝元と三奉行が先に大阪城占拠して大谷吉継が石田三成を積極的に勧誘したというのも一次資料にあるらしいし従来の石田三成から大谷吉継を勧誘じゃなく逆だったとか人質の件とかでたまたま東軍にいったとかなぜか毛利輝元に罪をおしつけられて石田三成が主犯格になり処刑されるとか本当に近年の説では石田三成無茶苦茶可愛そうですよねーてか、戦国は本当に今までの常識変わるから常に勉強しないととりのこされるっすね
大谷刑部さんのお話も是非お願いします。大好きなんです❤
大谷さんとは、三成さんとは、親友だったみたいですね
@@中三川さまそうですね。誤解されやすい三成さんの唯一の理解者だと思っています😊
今回の石田三成はなんとも爽やかといいますか、松潤との掛け合いも息があってて見てて気持ちが良かったですね。そんな二人がいずれ…容赦ない脚本ですね。
今回ドラマ録画を失敗してしまい、土曜日の再放送までお預けになってしまいましたが、今から松潤と七之助さんの掛け合いが楽しみです!❤
ジブ、大好き💕です💕 天地人では大ファンの小栗旬くんが、真田丸では大大ファンの山本耕史さんが、もう、ピッタリ!でしたよ〜😆あ、ジブさま本人も本当に好きで、目立たないけど(イヤ本当はかなり目立ってたんじゃ?)仕事はきっちり完璧のところが、私の目指すところでもあります!解説ありがとうございます〜❣️
勘三郎さん、確かにいだてん も素晴らしかったですけど、先ずは本作の茶谷四郎次郎ですよね😉なんなら、今話の家康の大阪宿舎は茶谷四郎次郎の屋敷のはずですし☝🏼
島左近への厚遇エピソードが示すように、部下にも十分に慕われた人物だと思います。上司と部下には慕われるが、同僚には嫌悪されるタイプの人間に見えますが、そもそも激しい競争社会であった戦国時代に、同僚の嫉妬を交わすのは簡単ではなく、彼個人の資質の問題にするのもあまりフェアではないと思います。秀吉のように並外れた出世をしながら、巧みに嫉妬を交わし続けた人間の方が例外的であったと思う。
あはは、ひねくれててすいません 石田三成は好きな武将の一人です朝鮮出兵の時 兵站の確保が難しいからと、反対していたなんて他の武将と一味違って 兵站を重要視していたのですね。ラットさん せっかく褒めてたのに残念、でもそんなやり取りが 面白いのです。
私も石田三成と大谷吉継が大好きですw
いいですよね~大谷吉継、生き様がかっこ良いです。@@kashimashi_rekishi_ch
最近の新しい説では、実は家康と三成の関係は良好で、敵対関係には無かった。通説の大谷吉継を関ヶ原に誘ったのは逆で三成が吉継に誘われるなどし、地理的にも西軍につかないと危険ということでやむを得ずだったとか。あと三成は毛利に人質をとられてしまい、家康と争うしかなかったとも。そして、負けた三成は責任を取らされ、家康もやむを得ず三成を処刑した。というのもあるみたいですね。個人的には出来れば大河はこの新説を取り入れて欲しいところです。
『気が合いそうでござる』って三成の台詞で三成の表情や家康の表情がとても柔和だったのが印象的だったのはそういう素地があったのですね。亡き中村勘三郎さんは勘九郎時代の時、高校生だった自分の歌舞伎教室という社会見学の授業で『女殺油地獄』の演目と、その後に高校生にも分かるように舞台装置やら音曲の話やら、色んな歌舞伎のお話をしてくださいました。そういう草の根運動的な活動を長年やっておられたから、亡き勘三郎さんには本当に根強いファンが付いてきたのです。
「家康と三成は仲が良かったが、毛利に人質を取られてしまい、三成は家康と戦うしかなかった。敗れた三成が処刑されたのは、毛利のスケープゴートにされた様なものだった。」みたいな説も有るみたいですね。今回のドラマは瀬名と家康の話も切なくなりましたが、三成との話も切なくなりそうですね。でも、これらの新説を積極的に採用する今回の大河は素晴らしいと思っています。楽しみです。(^_^)v
先日の「どうする家康」での家康さんと三成さんの星を見上がら、親しく会話するシーンはとても良かったですよね!!きらめく星座を背景のシーンはとても絵になっていたと思いました。そうでしたか?実生活でも松潤さんと七之助さんは仲良しだったのですか?初めて知りました、ありがとうございましたm(--)m
松潤さんと、中村七之助さんは、仲良しだからね、今年の、関ヶ原の戦いは、私は、複雑な気持ちなりそう。
桐生さまの説明天才的ですね
大河での三成役者は、錚々たる面々が演じてます。石坂浩二さん、近藤正臣さん、鹿賀丈史さん、江守徹さん、真田広之さん、坂上忍さん、田中圭さん、伊武雅刀さん、そうそう、鎌倉殿のあの二人、小栗旬さんと山本耕史さんもやってますね。小栗くんなんか、2作品で出演してまして、「秀吉」の時は子役で、「真田丸」のオープニングで当時の写真が使われてましたなぁ🙄何人か抜けてるなぁ。フォローあればよろしく💦
戦国自衛隊 関ヶ原の戦い では三成=竹中直人なんてのもあります🤔
あ、奥田瑛二さん抜けてました💦
七之助さん、勘九郎さん、勘三郎さんの中村家の初代は、名古屋市中村区の出身ともいわれてますね(中村公園に中村座の記念像があります)また、七之助さん演じる三成の家紋が九曜紋だったのは新鮮でした(源義仲を射た石田為久系?)
太閤検地は大宝律令以来の土地に関する大改革と聞きましたが、本当でしょうか?どの辺りが、そんな感じなのでしょうか?
お七様が登場しましたね。楽しみにしてました😊きりゅうさんもお七様のラジオ番組聞かれてるのかなとおもいました、そのラジオに松潤ゲストで出てましたよね❤以前から大河観てたのですが、感想言う相手いなかったのでいま、きりゅうさんの動画見つけて毎週大河楽しんで見てます。ありがとう御座います(^人^)🙇これからも、たのしみにしてます💮
秀吉公が検地を行う事 ができたのは「関白殿下は天子さまの代理人」という認識が全国あったからなのかもしれないですね。そして武闘派大名たちからは秀吉公の威を借りて検地を進める三成公を見て嫉妬していたのかも。
この、どうする家康に出てくる三成は家康と対立しなそうに見えるけど…秀吉死んだらやがて三成も豊臣政権守る為色々と尽くして、やがて家康と対立しそう😮そう言えばどうする家康で大谷吉継や徳川秀忠などどんな姿か、公開されましたね〜今後とも注目しますね😊
興味深い解説をありがとうございました🙏❣️石田三成は、『天地人』で小栗旬さんが美しく演じられた時から、大河の主人公にならないかなぁと思っていました。七之助さんの三成も楽しみにして見ていきたいです😊
秀吉の後ろにある地図の沖縄の周りの島。デカくて多いですね。
徳川と割と仲良かった説の根拠として、子孫に寛容だった点が挙げられてますね(秀頼の子は4罪でしたし)。確かのちに東北のほうで活躍してたはず
美濃返し、兵糧はどうしたの!?と疑問に思ってたから、スッキリ!しました。成功者の影には石田三成的な人、かなり存在するんでしょうね。
きりゅうさんがまさか松潤のプライベートにまで詳しかったとは…!
石田三成初登場のアップで、目が勘三郎さんにそっくりで驚きましたお兄ちゃんの勘九郎さんも茶屋四郎次郎で活躍されていましたね
石田三成さんは、もちろん歴史大好き私は、知ってます。どうする家康では、石田三成さん役は中村七之助さんがやってますね、のち、家康さんと、関ヶ原の戦いだから、この前の、どうする家康の出会いシーンみたら、辛くなりますね、あと、私知ってるのは、大谷さんの友情話は、知ってます
後世の創作と言われる石田三成の逸話「三献の茶」の逸話の元ネタは、多分「家康が土屋忠直を見出した逸話」では無いでしょうか?家康が静岡に🦅鷹狩りで訪れ、喉が渇き清見寺に茶を所望し、そこに🍵茶を持って行ったのが少年が土屋平三郎(後の忠直)で、 少年に唯ならぬ気配を感じ、その子の親は只者では無いと直感した家康は、その子の親は誰かと訪ねると甲斐武田の最後の家臣片手千人斬りの土屋昌恒と知り、家臣として取り立てたとの話です。 しかし、私の妄想では子供なんて鼻垂らして駆けずり回っていて、気迫など在る訳ないが、実際は家康の眼力を強調する為のコジツケでしょう。 忠直の父型の祖父は武田晴信の使番の金丸筑前守で、母型の祖父は岡部元信なので、何方かの祖父に似ていたので、平三郎の親は誰かと訪ねたのが真相でしょう。
宣伝になりますが……(笑)拙著「石田三成の青春」の第一章「美しい誤解」は「智に働けばー石田三成像に迫る十の短編」にも収録されています。そこでは、三献茶をちょっと違う解釈をしています。
今も昔も「勝てば官軍、負ければ賊軍」勝った側が優位に歴史を造れるのは悲しいなぁ~😞
むしろ石田の場合は「負けた側が編纂した結果」ってのがありますしねぇ→輝元「俺は悪くない、三成が悪いんです~」「勝った側が歴史作る」が本当なら負けた側の島津とか上杉とか全然残らないよね?ってなるし負けた側の史料もまた慎重に見ないといけない…
勘九郎さんは茶屋四郎次郎ですよね。三成との接点はあるのでしょうか?
きりゅうさん質問です。年貢についてなんですけど、米をつくる百姓以外の農民や、町人は何を納めてたんですか?
今の所今回の三成が一番復顔に近い三成ですね。
動画を聞いて、石田三成は秘書にほしいなと思いました。
秀吉自身、戦経験は豊かで、朝鮮出兵の成否が兵站に掛かっていたくらいのことは百も承知だったと思います。そのあたりには表面化していない何か事情があったんでしょう。
「飛鳥尽きて良弓しまわれる」。国内に戦う対象がなくなり、不要になった戦闘しかできない武士団の仕事を作り出すために隣国を攻撃することにした、という説があります。つまり、兵農分離で戦闘専門になった武士団の処遇に困った、という訳です。
石田三成は、何でも器用にこなせる天才肌タイプだったような気がします。そぉいう方って、出来ない人の気持ちがわからないと思うので、つく人が少なかったのかな?と感じます。「江」のドラマで、黒田官兵衛に三成が人の気持ちがわからないと言われてました💦豊臣家臣で、あまり山ノ内一豊ってドラマに出て来られないような気がするのですが、何故ですか? 奥さんの千代さんの方が有名だからですか?
ずっと以前に藤堂高虎が主人公の小説を読んで、それには三成が蒲生氏郷を、忍びを使って毒殺したような感じで描かれていましたので、その通りではないにしても、「ゲスの極み秀吉」の命令でやってしまったのかと思っておりました。考えを修正してくれてありがとうございます。私は、大谷吉継のファンなので、司馬遼太郎さんの「関ケ原」だったと思いますが、酒の回し飲みの際、大谷吉継の鼻水だったか何かが酒に落ちて、ほかの武将が回し飲みを嫌がる中で、三成が飲み干すというエピソードだったと思いますが、それで三成に好感を持っています。大谷吉継ってハンセン病だったのですね。司馬さんの「関ケ原」に梅毒と書かれていたと思いますので、今日までそう信じていました。今度良かったら、大谷吉継の解説もお願いします。大谷吉継は「関ケ原」で三成に「負けるぞ」と言いつつも味方する場面が好きです。
今年の大河にも佐竹義宣が石田三成を救ったエピソード無さそう…最近じゃ『石田三成助けた話って創作では?』とか言われてるし…秋田県出身としてはさみしい…
検地での年貢つまり税金の割合ってどのくらいだったのでしょうか?当時は9割税金、現代は1割税金、ぐらいのイメージがあります。
三献の茶はお湯を沸かしながら 途中途中でお茶を持って行ったから ぬるい薄め→熱い濃いめ になっただけと思ったw
子供は男女ともに全員関ヶ原後も許されたみたいで生き残ったようですね。孫はwiki見る限りだとシャクシャインの戦いで活躍したり、女系孫は藩主になったりしたみたいです。
秀吉へチクりまで黒田官兵衛の手紙か何かに三成にチクられた。みたいな事が残ってるってききました。
三成が大名たちに嫌われていたのはそうだと思います。が、部下からは慕われていたという説があります。部下から嫌われた人は何をやってもうまくいかないものですが三成は仕事が優秀でした。また、関ヶ原で戦況が不利になると他の大名の部下はどんどん逃げ出したのに、三成の部下は逃げ出すものは少なかったと読んだ事があります。私はこれを信じています。結構いいやつだけど、不器用なひと。
昔から、明智光秀と石田三成が混同して、いったん落ち着いて頭の中で整理しないといけなかったんですが、今後は茶屋四郎次郎と光成が混同しそうです…。兄弟顔そっくり…。劇場型カリスマさんが戦国時代ではよかったという事は、小泉元首相がもし戦国時代にいたら、あれよあれよと天下取ってそうです。
小泉さんは口がうますぎるそれで天下取ってたみたいなもんでしたねそういう部分では不世出の人。
中村家の話、いだてん、間違い無いけど、茶谷四郎三郎と言って欲しかった〜😭
石田家は近江京極家の配下であり、浅井家とは敵対関係にありました。京極家が衰退期に浅井家配下になりました。従って三成は淀君とはそれ程親密ではなく、北政所と三成の親密度の方が良かった様です。三成三女は関ヶ原合戦前に北政所の養女になりました。北政所は西軍陣営に近く、関ヶ原合戦後に東軍側の福島正則、細川忠興、黒田長政等を避けていた時期がありました。秀吉がキリスト禁止令を発した際は密かにキリスタンを逃したり、秀次切腹事件では1人の姫を助けました。大谷吉継と特別親しくなったのは秀吉の怒りを買った吉継を三成が庇ったからです。石田三成隊は鉄砲隊も強く関ヶ原合戦後藤堂高虎隊の鉄砲隊の弱点を指摘しています。高虎は真に受け止めて鉄砲隊の再編成をしました。三成は政治だけではなく、戦術家戦略家の才能もあったようです。三成の真の敵は黒田官兵衛(如水)だったと思います。
今後、茶屋四郎次郎と三成との兄弟共演はあるのだろうか。
いだてんもあったっけ?
検地は明智光秀もやっていた…先駆者?…と聞いたような聞かなかったような?
太閤検地で単位の統一が成ったのに、後に家康が独自の単位で検知したから畳のサイズが関東中京関西でバラけたのは残念だと思ってしまって居ます。家康めぇ。
太閤検地も全国的にやってたかと言われると微妙みたいですからねぇ→毛利とかも独自の検地が許されてた逆に太閤検地やった結果、余計重税になっちゃったパターンとかあるんですよね…島津…orz 検地実施したら大規模一揆起きて歳久犠牲になったし一揆鎮圧後も全然戸籍調査できないから石田三成・細川幽斎に介護してもらってやっと査定出たけど実高の倍で8公2民でもせんと軍役維持できない…→関ケ原で全領安堵は良いが重税はそのまま…(´・ω・`)
お話を聞いて石田三成は不憫だなぁと思いました笑 時代が時代だったのか、豊臣家臣団で孤立してしまいましたが秀吉のため豊臣家のために最後まで戦ったのは改めて涙😢きりゅう先生と同様に松潤が親交の深い中村兄弟と共演しているのは嬉しいですよね(個人的に七之助さんは大河のイメージがなかったので特に😊)
いつの時代も『段取り上手』は有能なんですよね✨分かりにくいんですけど…
仕事が上手くいくのはすべて段取り次第ですね
有能だけど嫌われ者、すると=オーベルシュタイン?とゆうことは福島正則=ビッテンフェルト?それから、秀吉のとき⇒おさる🐵は何回見ても笑ってしまいます😆
隠し田を見つける為に太閤検地を使ったとも云われていますね。
最近の動画、きりゅうさんの話のところ倍速されてますか?すごく聞きづらいです。内容が耳滑りして頭に入ってこない💦元々、きりゅうさんの話(声とテンポと内容)が大好きなので、倍速編集はとても残念に思います😢(尺の問題があるのだとは思いますが💦)
お茶を山盛りに入れるのは無理じゃないですか😅なみなみと でしょうか😅
太閤検地の歴史的意義は、実は想像以上に重要だと思う昨今です。それは、昨年の鎌倉殿で「墾田永年私財法」が日本社会に与えた影響の大きさを知った事と対になって生まれた新しい視点です。朝廷の関白・秀吉公は、建前としてしか世間に認知されていなかった「公知公民」を、ある意味本気で実施しようとしてたのではないでしょうか。これは、墾田永年私財法的価値観で形成されている日本社会では、とても難しい課題です。秀吉公以外で唯一中央集権国家を目指した明治政府も、なんなら現代日本の政府も、この「国家による検地」に失敗していると言えるでしょう。(現代の先進国で、ここまで地籍調査が進まない国は日本以外にありません)家康の検地は、形は似ているようですが、あくまて墾田永年私財法的世界観の中の仕事だと思います。豊臣秀吉ほど有名過ぎて曲解されている人物はいないのかもしれません。
どうするには、お兄ちゃんも茶屋四郎次郎として兄弟で出演されてますね!
聞いてて思いついたんですが三成って梶原景時と同じタイプかも。有能な実務家でトップには重用されるけど仲間には嫌われる。
石田三成は漢の蕭何の様な感じですね。ただ、秀吉が居なくなり、上に立ってくれる人が居なかったのが悲劇でしたね。それでも、もう少し度量とカリスマ性が有れば、豊臣政権が長続きしてたかもしれないですね。
乱世だと居なくなって始めてありがたみが解る御仁になってしまった感じが‥‥‥今少し人付き合いができていたらまた変わったのだろうか。違う時代なら名裁きとか新しい時代のつくり手として生きていけたのだろうか
大河秀吉で真田三成が中国大返しで美濃大返しみたいなことしてましたね
家臣団からの忠節を見ると、人間的な魅力もある人だったと思います。立場上、他の大名からの嫉妬や不信を招く点が不運だったとしか。
あのお茶の話は、そもそも変で、お湯の温度をそんなにコロコロ変えるって当時不可能ですよね。湯沸かし器もないし、せめてガスコンロがないと調節できないし・・っと、小さいころに聞いたときにすら思ってました
多分、おそらくだけど、 水で割って調整したんぢゃないかな。
冷めてると言ってもそんな濃いのを汗かいて喉が渇いてるときにゴクゴク飲めないし、多分薄めたやつを出したんでしょうね。あり得る話としたら。でもそれを段々少なく濃くしていって…最後は茶を楽しませる、とかいかにも説話っぽい。まあそれも実話だとしても、いかに三成少年賢いと言ってもそういう気遣いを思いつくのは知識や教えだけでなく、人生経験もあってのことだと思うし…三成ひとりでやったんじゃなくて周りの人が“そうせえ”と言った(やってあげた)んじゃないかなとか思いますね。坊さんのとんちみたいな感じあるし。
劉邦と蕭何、秀吉と三成同じ様な人生だけど物語の結末が違う秀吉の子供の石松丸か鶴松が長生きしてれば劉邦と蕭何のようになれてたはず…
銀河英雄伝説という小説にはNo.2は不要、憎まれ役はワイが負うというキャラが重役を担うのですがね。三成は思わずも憎まれ役のNo.2になってしまったんでしょうね。武断派全員アホだと思ってた訳では無かったのだと思いますけどね。
関ヶ原で三成が勝っていた、としたら、三成に力があれば、石田幕府をつくったか、力かまなければ戦国時代に戻っていたでしょう。豊臣秀頼を守って豊臣政権を支えるほど、権力は甘くない。
七将は、蜂須賀家政、黒田長政、加藤清正、福島正則、浅野幸長、細川忠興、藤堂高虎でーす。蜂須賀家政、黒田長政が首犯というか、朝鮮の時の因縁が原因だったみたいですよ。
昔の勘九郎さん同意
お兄さんが茶屋四郎次郎、弟さんが石田三成。ドラマの中で出会って、やあ似てますね、お互い…て、親しくなったりしないかな。
中村勘三郎さん、大好きだったのに……あんなに早くお亡くなりになられるなんて……今でもショック😭😭😭🌁⤵⤵⤵
中村勘三郎さんは松本くんを3人目の息子と言ってくれてました。なので松本くんは歌舞伎界の方々と仲がいいんですよね。そんな親友と出会えた堀越学園ですが、高校進学を進めたのは櫻井くんで、彼は入学式に付き添ってます。松本くんがこれまでの出会いを大切にしてきたからこそ今回のキャスティングに繋がったと思うと、感慨深いです。
大谷吉継がハンセン病を患った後でも他の者が忌み嫌うのに三成だけは変わらずに接したというエピソードが好きです。
お茶を回されても飲むエピソードですね、へうげものでは同席した前田利家が吉継から回された茶を平気で飲んで困った三成がふんどし一丁になって全身で飲んだ姿には笑いました😆
十八代勘三郎さんは30年ぐらい前にテレ東の年末12時間ドラマで秀吉やってましたね!御本人のキャラクターもあってか昔ながらの明るい秀吉をやってはりました!もっともっと長生きして息子さんたちとの共演も見てみたかったです😢
大河ドラマでは同じ人を色んな俳優さんが演じるから、ああこの信長は好みじゃ無いなあとか、この家康は俳優さんとぴったりだなとか好き嫌いしてしまうんですが、石田三成はどの俳優さんが演じていても割と好きになれるのが不思議です。
七之助さんがテレビに登場した時、私も、亡くなったお父さんの顔に見えて、本当にドキッ❤としました。
女方の顔をされているので、お母さん似だとばかり思っていました。
同じく「勘九郎さん」というと亡くなったお父さんを思い出します。
誰が見ても歌舞伎だけでなく日本の文化を率いていく方でした。
本当に惜しい方を亡くしました。
実は三成も好きですが、お兄さんの石田正継にも惹かれています。
関ケ原のときだけでも出てきてほしいですね
家康さんと三成さんの中の人たちの仲よしエピソードを知って関ケ原を観るのが辛くなりそうです😂
戦国武将の中で一番好きな武将が石田三成です❤️
好きになったきっかけは、大河ドラマ「黄金の日々」で近藤正臣さんが石田三成 役で、小学生の私がハマってしまいました。大河ドラマでもいろんな方が三成役を演じていますが、小栗旬君の時も好きでした✨
今回もどんな三成になるか?楽しみにしています📺️
そうですね。七之助さんとは仲良しですから。今回、とっても楽しかったですよね😆
三成は物事に対して最善策、次善策、…と様々なケースを想定して手を打てる人だったと思います。
きっと自分でもトップに立つより参謀の方が向いてるって思ってたのに、周りから頼られて自分がやるしかない状況に追い込まれちゃったんだろうなぁ…。
そんな三成さんが大好きです!
先週の三成と家康の空を見上げて星を愛でるシーンは本当に良かったですねー。
でもラットさんが「サンコン。。」とおっしゃった時。。「イッコンニコンサンコーン‼️」って言うかと思ったけどいわなかった😂言って欲しかった。。と思ったのは私だけではないはず😂 中村勘九郎さんの平成中村座ニューヨークのリンカーンセンターで見たのですが、その時、七之助さんも出演なさっていたと思いますが、線が細かった記憶があります。素敵な役者さんになられましたね。七之助さんのこれからの三成楽しみです❤
石田三成は大好きです。NHKの大河ドラマでは、石田三成を主人公にした大河ドラマを作ってほしいです。『黄金の日々』の近藤正臣さんが演じた石田三成はとてもとてもとてもよかった。かっこよかった。実際人物に一番近い気がします。三成らしかった。特に『今生の別れぞ!!』と入って小舟で、別れるシーンは感動しました。他に、山本耕史さん、は、『真田丸』で、石田三成はすばらしかった。この二人は最高でした。その他、江守徹さん、映画での岡田さん、橋之助さん、真田広之さん、もとてもよかった。
その他、『天地人』のしゅんさんもよかった。とても素敵でした。今年の七之助さんも良いです。ぜひ、NHK大河ドラマは、石田三成を主人公にしたドラマを作ってほしいです。切なる願いです。実現しますように!!この番組では、さらに、石田三成と関ヶ原、なぜ西軍は敗れてしまったのか!!をとりあげてほしいです。橘宗茂が関ヶ原に間に合っていたら西軍は大勝していたと思います。あるいは、伊達政宗を西軍に、味方に、していたら、上杉景勝が、関ヶ原にくることになり、西軍は大勝していました。しかしながら、西軍、石田三成、宇喜多秀家は本当によく戦った。あっぱれ!!🎉
三成って本当にカリスマ性のある主人の元でこそ輝く人物だと思う。島左近なり、渡辺勘兵衛なり、彼に心底惚れてた人もいると思うけれど。MBTI的には、ISTJタイプなのかなと。
三成の話から、堀越の話になって、中村家まで、「どこまでいくねん!」的な流れが、姦しな感じでよかったです😆
Xの三成さんは大河の時は毎回盛り上がってます。真田丸の三成さんはお気に入りだったみたいです❤
動画の作り方が上手ですよね。
わかりやすいし、邪魔とか違和感とか全然無いです。
ありがたいです。
そこで思ったのですが、トークで未公開部分ありますよね。
未公開特集の予定はありますか?
三成の不幸は秀吉の暗部を一身に背負ってしまったこと。無理な出兵の後方支援を担ったことで前線の武将に恨まれてしまった。官僚としては優秀だったので、同じ立場の吉継や兼続には頼りにされ、家康からは警戒された。
武将の中で三成を尊敬してます。佐和山城跡に行ったり定期的に関ヶ原の笹尾山の頂上に登ってどんな心境だったのか考えます。大谷吉継も好きです。首塚に行って手を合わせに行きました。直江兼続の直江状に凄く興味があります。楽しく拝見させて頂きました。有難う御座います。
今日もお疲れ様です!
治部様は推しなので解説してくださって嬉しいです!
治部様は柿に関するエピソードだったりピュアで可愛い逸話があるのでとても魅力的で大好きです❤️
松潤と仲の良い話は聞いていましたが…ホントに良いキャスティングですよねぇ🤔その2人が戦いあうのかぁ😢
きりゅうさんは岡田准一さんが三成をやった関ヶ原って映画は見ました!?好きな監督の作品だったので良かったです🥹👌✨
石田三成は、気になる方でしたから、動画にして下さりありがとうございます~今の時代には必要とされそうな方の様な気が、しました。
今日も楽しい解説ありがとうございます😁松潤さんと七之助さんが私生活でも仲良しだったとは、今後の二人の掛け合いが面白くなりそうです😀
「どうする家康」での中村兄弟は茶屋四郎次郎と石田三成ですね。
今後の展開のどこかでニアミスするのでしょうか。気になります(*'ω'*)
松潤と七之助さんが仲良しの情報迄ご存知のきりゅうさん❤すごい😂今回も楽しい解説ありがとうございます❤
中村兄弟さんを奈良の東大寺でお見かけしました
狛犬に登ろうとして
お母様に怒られていたのを覚えてます
きりゅうさん、
時々お猿さんに変身するのが可愛い
左耳の白いピアスも素敵
イヤホンよね、しろいの
七之助さんが、肖像画に似てる感じがしました(笑)雰囲気が良いですよね
のりちゃん、5代目勘九郎、大好きでした。❀がありましたよね。
松潤と七之助エピソードは存じ上げませんでしたが、先代の勘九郎さんが幼い兄弟の兄(現在の勘九郎)をビンタしたスパルタ映像は今でも脳裏に焼きついて離れません。悪い意味ではなく芸能とは厳しい世界だなぁと感じいったシーンでした
治部さま大好きなので解説嬉しいです〜〜!まだたった41歳だったんですよね…
もしも秀吉ではなく家康に仕えていたら、とか、歴史にもしもはないけれど、きっとあれだけ事務のできる人だから江戸幕府でも活躍できただろう(むしろ戦国より向いていたのでは)とか考えてしまいます。
そして、通説や最近の説まで知れるきりゅうさんの解説の上手さに毎度のことながら感激です。
干し柿の話は、「葵・徳川三代」でやってましたね。名優ぞろいですごく印象的でした。ま、俳優さんの実年齢との差はめっちゃあったんですけどね
戦国って本当に研究すすむから
関ヶ原も近年の説は本当にビックリ
関ヶ原って実は毛利輝元と三奉行が先に大阪城占拠して
大谷吉継が石田三成を積極的に勧誘したというのも一次資料にあるらしいし
従来の石田三成から大谷吉継を勧誘じゃなく逆だったとか
人質の件とかでたまたま東軍にいったとか
なぜか毛利輝元に罪をおしつけられて石田三成が主犯格になり
処刑されるとか
本当に近年の説では
石田三成無茶苦茶可愛そうですよねー
てか、戦国は本当に今までの常識変わるから
常に勉強しないととりのこされるっすね
大谷刑部さんのお話も是非お願いします。大好きなんです❤
大谷さんとは、三成さんとは、親友だったみたいですね
@@中三川さま
そうですね。誤解されやすい三成さんの唯一の理解者だと思っています😊
今回の石田三成はなんとも爽やかといいますか、松潤との掛け合いも息があってて見てて気持ちが良かったですね。そんな二人がいずれ…容赦ない脚本ですね。
今回ドラマ録画を失敗してしまい、土曜日の再放送までお預けになってしまいましたが、今から松潤と七之助さんの掛け合いが楽しみです!❤
ジブ、大好き💕です💕 天地人では大ファンの小栗旬くんが、真田丸では大大ファンの山本耕史さんが、もう、ピッタリ!でしたよ〜😆
あ、ジブさま本人も本当に好きで、目立たないけど(イヤ本当はかなり目立ってたんじゃ?)仕事はきっちり完璧のところが、私の目指すところでもあります!解説ありがとうございます〜❣️
勘三郎さん、確かにいだてん も素晴らしかったですけど、先ずは本作の茶谷四郎次郎ですよね😉
なんなら、今話の家康の大阪宿舎は茶谷四郎次郎の屋敷のはずですし☝🏼
島左近への厚遇エピソードが示すように、部下にも十分に慕われた人物だと思います。
上司と部下には慕われるが、同僚には嫌悪されるタイプの人間に見えますが、そもそも激しい競争社会であった戦国時代に、同僚の嫉妬を交わすのは簡単ではなく、彼個人の資質の問題にするのもあまりフェアではないと思います。
秀吉のように並外れた出世をしながら、巧みに嫉妬を交わし続けた人間の方が例外的であったと思う。
あはは、ひねくれててすいません 石田三成は好きな武将の一人です
朝鮮出兵の時 兵站の確保が難しいからと、反対していたなんて
他の武将と一味違って 兵站を重要視していたのですね。
ラットさん せっかく褒めてたのに残念、でもそんなやり取りが 面白いのです。
私も石田三成と大谷吉継が大好きですw
いいですよね~大谷吉継、生き様がかっこ良いです。
@@kashimashi_rekishi_ch
最近の新しい説では、実は家康と三成の関係は良好で、敵対関係には無かった。通説の大谷吉継を関ヶ原に誘ったのは逆で三成が吉継に誘われるなどし、地理的にも西軍につかないと危険ということでやむを得ずだったとか。あと三成は毛利に人質をとられてしまい、家康と争うしかなかったとも。そして、負けた三成は責任を取らされ、家康もやむを得ず三成を処刑した。というのもあるみたいですね。個人的には出来れば大河はこの新説を取り入れて欲しいところです。
『気が合いそうでござる』って三成の台詞で三成の表情や家康の表情がとても柔和だったのが印象的だったのはそういう素地があったのですね。
亡き中村勘三郎さんは勘九郎時代の時、高校生だった自分の歌舞伎教室という社会見学の授業で『女殺油地獄』の演目と、その後に高校生にも分かるように舞台装置やら音曲の話やら、色んな歌舞伎のお話をしてくださいました。そういう草の根運動的な活動を長年やっておられたから、亡き勘三郎さんには本当に根強いファンが付いてきたのです。
「家康と三成は仲が良かったが、毛利に人質を取られてしまい、三成は家康と戦うしかなかった。
敗れた三成が処刑されたのは、毛利のスケープゴートにされた様なものだった。」
みたいな説も有るみたいですね。
今回のドラマは瀬名と家康の話も切なくなりましたが、
三成との話も切なくなりそうですね。
でも、これらの新説を積極的に採用する今回の大河は素晴らしいと思っています。
楽しみです。(^_^)v
先日の「どうする家康」での家康さんと三成さんの星を見上がら、親しく会話するシーンはとても良かったですよね!!きらめく星座を背景のシーンはとても絵になっていたと思いました。そうでしたか?実生活でも松潤さんと七之助さんは仲良しだったのですか?初めて知りました、ありがとうございましたm(--)m
松潤さんと、中村七之助さんは、仲良しだからね、今年の、関ヶ原の戦いは、私は、複雑な気持ちなりそう。
桐生さまの説明天才的ですね
大河での三成役者は、錚々たる面々が演じてます。石坂浩二さん、近藤正臣さん、鹿賀丈史さん、江守徹さん、真田広之さん、坂上忍さん、田中圭さん、伊武雅刀さん、
そうそう、鎌倉殿のあの二人、小栗旬さんと山本耕史さんもやってますね。小栗くんなんか、2作品で出演してまして、「秀吉」の時は子役で、「真田丸」のオープニングで当時の写真が使われてましたなぁ🙄
何人か抜けてるなぁ。フォローあればよろしく💦
戦国自衛隊 関ヶ原の戦い では三成=竹中直人なんてのもあります🤔
あ、奥田瑛二さん抜けてました💦
七之助さん、勘九郎さん、勘三郎さんの中村家の初代は、名古屋市中村区の出身ともいわれてますね
(中村公園に中村座の記念像があります)
また、七之助さん演じる三成の家紋が九曜紋だったのは新鮮でした(源義仲を射た石田為久系?)
太閤検地は大宝律令以来の土地に関する大改革と聞きましたが、
本当でしょうか?
どの辺りが、そんな感じなのでしょうか?
お七様が登場しましたね。
楽しみにしてました😊
きりゅうさんもお七様のラジオ番組聞かれてるのかなとおもいました、そのラジオに松潤ゲストで出てましたよね❤
以前から大河観てたのですが、感想言う相手いなかったので
いま、きりゅうさんの動画見つけて毎週大河楽しんで見てます。ありがとう御座います(^人^)🙇
これからも、たのしみにしてます💮
秀吉公が検地を行う事 ができたのは「関白殿下は天子さまの代理人」という認識が全国あったからなのかもしれないですね。そして武闘派大名たちからは秀吉公の威を借りて検地を進める三成公を見て嫉妬していたのかも。
この、どうする家康に出てくる三成は家康と対立しなそうに見えるけど…秀吉死んだらやがて三成も豊臣政権守る為色々と尽くして、やがて家康と対立しそう😮
そう言えばどうする家康で大谷吉継や徳川秀忠などどんな姿か、公開されましたね〜
今後とも注目しますね😊
興味深い解説をありがとうございました🙏❣️石田三成は、『天地人』で小栗旬さんが美しく演じられた時から、大河の主人公にならないかなぁと思っていました。七之助さんの三成も楽しみにして見ていきたいです😊
秀吉の後ろにある地図の沖縄の周りの島。
デカくて多いですね。
徳川と割と仲良かった説の根拠として、子孫に寛容だった点が挙げられてますね(秀頼の子は4罪でしたし)。確かのちに東北のほうで活躍してたはず
美濃返し、兵糧はどうしたの!?と疑問に思ってたから、スッキリ!しました。成功者の影には石田三成的な人、かなり存在するんでしょうね。
きりゅうさんがまさか松潤のプライベートにまで詳しかったとは…!
石田三成初登場のアップで、目が勘三郎さんにそっくりで驚きました
お兄ちゃんの勘九郎さんも茶屋四郎次郎で活躍されていましたね
石田三成さんは、もちろん歴史大好き私は、知ってます。どうする家康では、石田三成さん役は中村七之助さんがやってますね、のち、家康さんと、関ヶ原の戦いだから、この前の、どうする家康の出会いシーンみたら、辛くなりますね、あと、私知ってるのは、大谷さんの友情話は、知ってます
後世の創作と言われる石田三成の逸話「三献の茶」の逸話の元ネタは、多分「家康が土屋忠直を見出した逸話」では無いでしょうか?
家康が静岡に🦅鷹狩りで訪れ、喉が渇き清見寺に茶を所望し、そこに🍵茶を持って行ったのが少年が土屋平三郎(後の忠直)で、 少年に唯ならぬ気配を感じ、その子の親は只者では無いと直感した家康は、その子の親は誰かと訪ねると甲斐武田の最後の家臣片手千人斬りの土屋昌恒と知り、家臣として取り立てたとの話です。
しかし、私の妄想では子供なんて鼻垂らして駆けずり回っていて、気迫など在る訳ないが、実際は家康の眼力を強調する為のコジツケでしょう。
忠直の父型の祖父は武田晴信の使番の金丸筑前守で、母型の祖父は岡部元信なので、何方かの祖父に似ていたので、平三郎の親は誰かと訪ねたのが真相でしょう。
宣伝になりますが……(笑)
拙著「石田三成の青春」の第一章「美しい誤解」は「智に働けばー石田三成像に迫る十の短編」にも収録されています。
そこでは、三献茶をちょっと違う解釈をしています。
今も昔も「勝てば官軍、負ければ賊軍」勝った側が優位に歴史を造れるのは悲しいなぁ~😞
むしろ石田の場合は「負けた側が編纂した結果」ってのがありますしねぇ→輝元「俺は悪くない、三成が悪いんです~」
「勝った側が歴史作る」が本当なら負けた側の島津とか上杉とか全然残らないよね?ってなるし負けた側の史料もまた慎重に見ないといけない…
勘九郎さんは茶屋四郎次郎ですよね。三成との接点はあるのでしょうか?
きりゅうさん質問です。
年貢についてなんですけど、米をつくる百姓以外の農民や、町人は何を納めてたんですか?
今の所今回の三成が一番復顔に近い三成ですね。
動画を聞いて、石田三成は秘書にほしいなと思いました。
秀吉自身、戦経験は豊かで、朝鮮出兵の成否が兵站に掛かっていたくらいのことは百も承知だったと思います。そのあたりには表面化していない何か事情があったんでしょう。
「飛鳥尽きて良弓しまわれる」。国内に戦う対象がなくなり、不要になった戦闘しかできない武士団の仕事を作り出すために隣国を攻撃することにした、という説があります。つまり、兵農分離で戦闘専門になった武士団の処遇に困った、という訳です。
石田三成は、何でも器用にこなせる天才肌タイプだったような気がします。
そぉいう方って、出来ない人の気持ちがわからないと思うので、つく人が少なかったのかな?と感じます。
「江」のドラマで、黒田官兵衛に三成が人の気持ちがわからないと言われてました💦
豊臣家臣で、あまり山ノ内一豊ってドラマに出て来られないような気がするのですが、何故ですか? 奥さんの千代さんの方が有名だからですか?
ずっと以前に藤堂高虎が主人公の小説を読んで、それには三成が蒲生氏郷を、忍びを使って毒殺したような感じで描かれていましたので、その通りではないにしても、「ゲスの極み秀吉」の命令でやってしまったのかと思っておりました。考えを修正してくれてありがとうございます。
私は、大谷吉継のファンなので、司馬遼太郎さんの「関ケ原」だったと思いますが、酒の回し飲みの際、大谷吉継の鼻水だったか何かが酒に落ちて、ほかの武将が回し飲みを嫌がる中で、三成が飲み干すというエピソードだったと思いますが、それで三成に好感を持っています。
大谷吉継ってハンセン病だったのですね。司馬さんの「関ケ原」に梅毒と書かれていたと思いますので、今日までそう信じていました。今度良かったら、大谷吉継の解説もお願いします。大谷吉継は「関ケ原」で三成に「負けるぞ」と言いつつも味方する場面が好きです。
今年の大河にも佐竹義宣が石田三成を救ったエピソード無さそう…
最近じゃ『石田三成助けた話って創作では?』とか言われてるし…秋田県出身としてはさみしい…
検地での年貢つまり税金の割合ってどのくらいだったのでしょうか?
当時は9割税金、現代は1割税金、ぐらいのイメージがあります。
三献の茶はお湯を沸かしながら 途中途中でお茶を持って行ったから ぬるい薄め→熱い濃いめ になっただけと思ったw
子供は男女ともに全員関ヶ原後も許されたみたいで生き残ったようですね。
孫はwiki見る限りだとシャクシャインの戦いで活躍したり、女系孫は藩主になったりしたみたいです。
秀吉へチクりまで黒田官兵衛の手紙か何かに三成にチクられた。みたいな事が残ってるってききました。
三成が大名たちに嫌われていたのはそうだと思います。が、部下からは慕われていたという説があります。部下から嫌われた人は何をやってもうまくいかないものですが三成は仕事が優秀でした。また、関ヶ原で戦況が不利になると他の大名の部下はどんどん逃げ出したのに、三成の部下は逃げ出すものは少なかったと読んだ事があります。私はこれを信じています。結構いいやつだけど、不器用なひと。
昔から、明智光秀と石田三成が混同して、いったん落ち着いて頭の中で整理しないといけなかったんですが、今後は茶屋四郎次郎と光成が混同しそうです…。兄弟顔そっくり…。
劇場型カリスマさんが戦国時代ではよかったという事は、小泉元首相がもし戦国時代にいたら、あれよあれよと天下取ってそうです。
小泉さんは口がうますぎる
それで天下取ってたみたいなもんでしたね
そういう部分では不世出の人。
中村家の話、いだてん、間違い無いけど、茶谷四郎三郎と言って欲しかった〜😭
石田家は近江京極家の配下であり、浅井家とは敵対関係にありました。京極家が衰退期に浅井家配下になりました。従って三成は淀君とはそれ程親密ではなく、北政所と三成の親密度の方が良かった様です。三成三女は関ヶ原合戦前に北政所の養女になりました。北政所は西軍陣営に近く、関ヶ原合戦後に東軍側の福島正則、細川忠興、黒田長政等を避けていた時期がありました。秀吉がキリスト禁止令を発した際は密かにキリスタンを逃したり、秀次切腹事件では1人の姫を助けました。大谷吉継と特別親しくなったのは秀吉の怒りを買った吉継を三成が庇ったからです。石田三成隊は鉄砲隊も強く関ヶ原合戦後藤堂高虎隊の鉄砲隊の弱点を指摘しています。高虎は真に受け止めて鉄砲隊の再編成をしました。三成は政治だけではなく、戦術家戦略家の才能もあったようです。三成の真の敵は黒田官兵衛(如水)だったと思います。
今後、茶屋四郎次郎と三成との兄弟共演はあるのだろうか。
いだてんもあったっけ?
検地は明智光秀もやっていた…先駆者?…と聞いたような聞かなかったような?
太閤検地で単位の統一が成ったのに、後に家康が独自の単位で検知したから畳のサイズが関東中京関西でバラけたのは残念だと思ってしまって居ます。家康めぇ。
太閤検地も全国的にやってたかと言われると微妙みたいですからねぇ→毛利とかも独自の検地が許されてた
逆に太閤検地やった結果、余計重税になっちゃったパターンとかあるんですよね…島津…orz 検地実施したら大規模一揆起きて歳久犠牲になったし一揆鎮圧後も全然戸籍調査できないから石田三成・細川幽斎に介護してもらってやっと査定出たけど実高の倍で8公2民でもせんと軍役維持できない…→関ケ原で全領安堵は良いが重税はそのまま…(´・ω・`)
お話を聞いて石田三成は不憫だなぁと思いました笑 時代が時代だったのか、豊臣家臣団で孤立してしまいましたが秀吉のため豊臣家のために最後まで戦ったのは改めて涙😢
きりゅう先生と同様に松潤が親交の深い中村兄弟と共演しているのは嬉しいですよね(個人的に七之助さんは大河のイメージがなかったので特に😊)
いつの時代も『段取り上手』は有能なんですよね✨分かりにくいんですけど…
仕事が上手くいくのはすべて段取り次第ですね
有能だけど嫌われ者、すると=オーベルシュタイン?とゆうことは福島正則=ビッテンフェルト?
それから、秀吉のとき⇒おさる🐵は何回見ても笑ってしまいます😆
隠し田を見つける為に太閤検地を使ったとも云われていますね。
最近の動画、きりゅうさんの話のところ倍速されてますか?
すごく聞きづらいです。
内容が耳滑りして頭に入ってこない💦
元々、きりゅうさんの話(声とテンポと内容)が大好きなので、倍速編集はとても残念に思います😢(尺の問題があるのだとは思いますが💦)
お茶を山盛りに入れるのは無理じゃないですか😅なみなみと でしょうか😅
太閤検地の歴史的意義は、実は想像以上に重要だと思う昨今です。
それは、昨年の鎌倉殿で「墾田永年私財法」が日本社会に与えた影響の大きさを知った事と対になって生まれた新しい視点です。
朝廷の関白・秀吉公は、建前としてしか世間に認知されていなかった「公知公民」を、ある意味本気で実施しようとしてたのではないでしょうか。
これは、墾田永年私財法的価値観で形成されている日本社会では、とても難しい課題です。
秀吉公以外で唯一中央集権国家を目指した明治政府も、なんなら現代日本の政府も、この「国家による検地」に失敗していると言えるでしょう。
(現代の先進国で、ここまで地籍調査が進まない国は日本以外にありません)
家康の検地は、形は似ているようですが、あくまて墾田永年私財法的世界観の中の仕事だと思います。
豊臣秀吉ほど有名過ぎて曲解されている人物はいないのかもしれません。
どうするには、お兄ちゃんも茶屋四郎次郎として兄弟で出演されてますね!
聞いてて思いついたんですが三成って梶原景時と同じタイプかも。有能な実務家でトップには重用されるけど仲間には嫌われる。
石田三成は漢の蕭何の様な感じですね。ただ、秀吉が居なくなり、上に立ってくれる人が居なかったのが悲劇でしたね。それでも、もう少し度量とカリスマ性が有れば、豊臣政権が長続きしてたかもしれないですね。
乱世だと居なくなって始めてありがたみが解る御仁になってしまった感じが‥‥‥今少し人付き合いができていたらまた変わったのだろうか。
違う時代なら名裁きとか新しい時代のつくり手として生きていけたのだろうか
大河秀吉で真田三成が中国大返しで美濃大返しみたいなことしてましたね
家臣団からの忠節を見ると、人間的な魅力もある人だったと思います。立場上、他の大名からの嫉妬や不信を招く点が不運だったとしか。
あのお茶の話は、そもそも変で、お湯の温度をそんなにコロコロ変えるって当時不可能ですよね。湯沸かし器もないし、せめてガスコンロがないと調節できないし・・っと、小さいころに聞いたときにすら思ってました
多分、おそらくだけど、 水で割って調整したんぢゃないかな。
冷めてると言ってもそんな濃いのを汗かいて喉が渇いてるときにゴクゴク飲めないし、多分薄めたやつを出したんでしょうね。あり得る話としたら。
でもそれを段々少なく濃くしていって…最後は茶を楽しませる、とかいかにも説話っぽい。
まあそれも実話だとしても、いかに三成少年賢いと言ってもそういう気遣いを思いつくのは知識や教えだけでなく、人生経験もあってのことだと思うし…三成ひとりでやったんじゃなくて周りの人が“そうせえ”と言った(やってあげた)んじゃないかなとか思いますね。坊さんのとんちみたいな感じあるし。
劉邦と蕭何、秀吉と三成
同じ様な人生だけど物語の結末が違う
秀吉の子供の石松丸か鶴松が長生きしてれば
劉邦と蕭何のようになれてたはず…
銀河英雄伝説という小説にはNo.2は不要、憎まれ役はワイが負うというキャラが重役を担うのですがね。
三成は思わずも憎まれ役のNo.2になってしまったんでしょうね。
武断派全員アホだと思ってた訳では無かったのだと思いますけどね。
関ヶ原で三成が勝っていた、としたら、三成に力があれば、石田幕府をつくったか、力かまなければ戦国時代に戻っていたでしょう。豊臣秀頼を守って豊臣政権を支えるほど、権力は甘くない。
七将は、蜂須賀家政、黒田長政、加藤清正、福島正則、浅野幸長、細川忠興、藤堂高虎でーす。
蜂須賀家政、黒田長政が首犯というか、朝鮮の時の因縁が原因だったみたいですよ。
昔の勘九郎さん
同意
お兄さんが茶屋四郎次郎、弟さんが石田三成。ドラマの中で出会って、やあ似てますね、お互い…て、親しくなったりしないかな。
中村勘三郎さん、大好きだったのに……あんなに早くお亡くなりになられるなんて……今でもショック😭😭😭🌁⤵⤵⤵